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札幌高等裁判所 昭和60年(ラ)18号 決定

抗告人 真部恭一

相手方 真部あさ子 外1名

主文

一  原審判を取り消す。

二  本件を札幌家庭裁判所に差し戻す。

理由

本件抗告の趣旨及び理由並びに相手方らの答弁及び主張は別紙一のとおりである。

(当裁判所の判断)

一  まず、抗告理由1について判断する。

1  一件記録によれば、亡真部高志(以下「被相続人」という。)は、その生前次のとおりの日付及び内容の自筆遺言証書を作成していることが認められる。

(一) 昭和31年5月9日付けのもの(以下「第一遺言」という。)

「一 遺産全部をきみ江に譲渡する

一 政子(相手方あさ子のこと)、のぶ子(相手方のぶ子のこと)にもきみ江の承認を得て譲渡する事

一 恭一(抗告人のこと)は不都合により財産は全々譲渡せざる事」

(二) 昭和32年6月2日付けのもの(以下「第二遺言」という。)

「一 高志名義一切の遺産は妻きみ江に譲渡する

一 あさ子のぶ子には妻きみ江と相談し適当にきみ江より分譲する事

一 恭一は7、8年前からの連続不都合に依り全々譲渡せざる事

但し本人の事業上の改心にて全く善人と認めてから参ヶ年以上経過した場合真部豊真部義清と相談し遺産の20分の1に限り譲渡するも宜しい

一 恭一の債務に対しては一切責任を負う必要なし

一 恭一を準禁にする考えである」

(三) 昭和34年6月1日付けのもの(以下「第三遺言」という。)

「一 あさ子には○××○××小生所有名義土地を全部譲与する。

二  のぶ子にはきみ江より後日幾分かを譲与する事。

三  恭一は6ヶ年も家出して気儘の限りを尽した現在改心の情認めず依て全々譲与せぬ。法的手続をとらなくとも必ず実行する事、但し向後真心から改心し真人間に更生したる時きみ江より幾分か譲与をなすべし

四  右以外一切の財産はきみ江に譲渡する。

五  幾分にても寺、養老園其他に寄附されたし。」

(四) 昭和44年5月18日付けのもの(以下「第四遺言」という。)

「後記の不動産を三女真部あさ子に贈与すること遺言します。」

なお、「後記」として別紙二記載の土地建物が当時の登記簿上の表示で記載されている。

2 第一遺言は、遺産全部を妻真部きみ江(以下「きみ江」という。)に譲渡するというものであり、その反面として、抗告人及び相手方らは全く相続できないこととなるが、相手方らについては、きみ江から更に裾分けとして譲渡すべきこととし、抗告人については、不都合により財産は全く譲渡しないこととしているものである。第二遺言は、遺産全部をきみ江に譲渡すること及び相手方らについてきみ江から更に裾分けとして譲渡すべきこととしている点は第一遺言と同様であるが、抗告人については、不都合により全く譲渡しないこと、ただし、抗告人が改心し善人と認められるようになつてから3年以上経過した場合は、真部豊、真部義清と相談し、遺産の20分の1に限り譲渡してもよいとしたものであり、停止条件付きではあるが、抗告人に対しても裾分けとして遺産を承継させようとしたものであつて、右の限度において第一遺言は取り消された(撤回)ものとみなされるが、第二遺言は第一遺言のうちの抵触のない部分についてもすべて盛り込まれているので、以後第二遺言のみが効力を有することとなる。第三遺言は、相手方真部あさ子(以下「あさ子」という。)については、札幌市○○区○××条○××丁目の被相続人所有土地を全部譲与する(第1項)ことに変更され、相手方滝川のぶ子(以下「のぶ子」という。)については、きみ江から後日幾分かを裾分けとして譲与すべきこととされ(第2項)、第二遺言と比較すると、譲与の目的財産の範囲が「適当に」から「幾分か」に変更されたものであり、抗告人については、抗告人は気儘の限りを尽し現在改心の情が認められずしたがつて全く譲与しない、ただし、今後真心から改心し、真人間に更生したときは、きみ江から裾分けとして幾分か譲与すべきこととされ(第3項)、第二遺言と比較すると、改心してから「3年以上経過すること」及び「真部豊、真部義清と相談し」との要件がなくなり、かつ、譲与の目的財産の範囲が「20分の1」からのぶ子に対してと同様の「幾分か」に変更され、きみ江については、右以外一切の財産はきみ江に譲渡することとされ(第4項)、右各変更の限度において第二遺言は取り消された(撤回)ものとみなされるが、第二遺言の第1ないし第3項は、第三遺言と抵触しない部分についても、第三遺言にすべて盛り込まれているので、以後第三遺言のみが効力を有することとなる。第四遺言は、あさ子のみについて、後記の不動産をあさ子に贈与するというものであつて、「後記」として別紙二記載の土地建物が当時の登記簿上の表示に従つて記載されており、あさ子に取得させる不動産の範囲を第三遺言で定めたものよりも更に増加させたものである。被相続人は、前記のとおり、第一ないし第三遺言を通じて、相続人の全員につきそれぞれ取得させるべき遺産の範囲及び取得させる条件、方法等を定めてきたこと、第四遺言当時きみ江が被相続人と同時もしくは被相続人よりも先に死亡することが確実であつたとはいえないから、第一ないし第三遺言において被相続人がきみ江に対して示した配慮を撤回し、きみ江について、あさ子が取得した残余の財産をきみ江、抗告人、のぶ子の3名で法定相続分による相続をすべきことに変更したとは解せられないことからすれば、第四遺言によつて第三遺言を全面的に取り消したものと考えることはできず、第四遺言は、単にあさ子に取得させる不動産の範囲を拡大したに止まるものと解するのが相当である。

3 第三遺言の第4項は,「右以外一切の財産はきみ江に譲渡する。」と記載されているところ、「右以外一切の財産」との文言は、抽象的ではあるが特定することが可能であつて、特定の財産を取得させる旨を内容とする遺言であるというべきところ、被相続人が特定の相続財産を特定の共同相続人に取得させる旨の遺言をした場合には、特段の事情のない限り、遺産分割方法の指定である(右特定の財産の価額が法定相続分を超えるときは相続分の指定をも含む。)と解すべきであり、一件記録によつても本件において右特段の事情は認められないから、右第三遺言の第四項は遺産分割方法の指定であるというべきである。そして、第三遺言の第2、3項は、いずれもきみ江が取得した遺産の中から裾分けとして幾分かを、のぶ子については無条件で、抗告人については前記停止条件付きで、それぞれ譲与すべきこととしたものである。ところで、一件記録によれば、きみ江は昭和45年10月2日死亡したことが認められ、きみ江が被相続人より先に死亡したことにより、きみ江が被相続人を相続することはありえなくなつたので、同人に対する遺産分割方法を指定した第三遺言の第4項は当然に失効し、したがつて、これを前提とする同遺言の第2、3項も当然に失効したものというべきである。また、第三遺言の第4項を遺産分割方法の指定と解すべきである以上、遺贈が失効したときについての規定である民法994条1項及び同法995条ただし書の各規定は第三遺言の第2項ないし第4項の部分については適用の余地がない。

結局、第三遺言は、その第1項(したがつて、第四遺言)の不動産についてあさ子に贈与する旨の遺産分割の方法を指定したのみで、その余の財産については特に遺産分割方法の指定はないものと評価すべきである(被相続人が抗告人の行為に対しかつて非常に不快に思い抗告人に対し厳しい態度を表明したことはこれを認めることはできないわけではないが、かかる事情をしんしやくしても、第三遺言(また、第四遺言)について、原審判のように、右説示と異なる解釈、適用をすべきものであるとは認められない。)。

4 そうすると、きみ江に対する第三遺言の第4項を遺贈であると解し、民法994条1項及び同法995条ただし書を適用して、抗告人を除外した相手方らにのみ遺産が帰属するとして遺産を分割した原審判の判断は失当である。

二 以上のとおり、原審判は他の抗告理由について判断するまでもなく失当というべきであり、本件抗告は理由があるので、家事審判規則19条1項により原審判を取り消し、本件を札幌家庭裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 奈良次郎 裁判官 松原直幹 中路義彦)

別紙一

第一抗告人の抗告の趣旨及び理由

一 抗告の趣旨

主文同旨

二 抗告の理由

1 本件各遺言の解釈について

(一) 第一及び第二遺言は、いずれも相続財産の全部をきみ江に譲渡(第一ないし第四の各遺言は、いずれも相続人に対するものであるから、遺贈ではなく、遺産分割方法の指定及び相続分の指定と解される。)するというものである。したがつて、その反面で、抗告人及び相手方らは、何ら相続できないことになるが、きみ江に対し、相手方らに譲渡すべき旨の負担を負わせているものである。抗告人に関しては、第二遺言で、「本人の事実上の改心にて全く善人と認めてから三ヶ年以上経過した場合」に譲渡すべき旨の、いわば条件付負担を負わせていると解することができる。第二遺言は、きみ江の負担を加重したものであり、その限度で第一遺言が取り消されたといえる。

第三遺言は、きみ江の外、あさ子にも「○××○××小生所有名義土地を全部」贈与するという内容的な大変更があり、きみ江に対しては、のぶ子に「幾分かを譲与すること」及び抗告人に「向後真心から改心し真人間に更生したる時・・・・・・幾分の譲与をなすべし」との負担を付しているものである。第三遺言が書かれた時点で第一、第二遺言はいずれも取り消されたことになる。

次に、第四遺言は、あさ子に対する贈与物件の範囲を拡大したものであるから、その限度で第三遺言は取り消されたといえる。したがつて、第四遺言が書かれた時点では、第四遺言記載の物件(この外に、原審判添付第三目録記載の土地が含まれるか否かという問題があるが、原審判は積極に解している。)はあさ子に贈与し、その余の相続財産はきみ江に前記の負担付で譲渡するということになろう。

(二) ところで、きみ江は、昭和45年10月2日死亡した。したがつて、同人に対する譲渡は失効したものである。これは、被相続人死亡時にきみ江が既に死亡して存在していないということから当然に帰結されることであり、民法994条の適用によるものではないと解する。

そうすると、きみ江が死亡した時点で第三遺言は当然に効力を失い、第四遺言だけが残された唯一の遺言となるのである。これが、従来から抗告人がとつてきた立場である。

なお、原審判はきみ江の死亡後の相続関係につき、同法994条、995条を適用しているが、本件には右各法条の適用はないと解される。

第一に、きみ江に対する譲渡は、前記のとおり、正確には相続分及び遺産分割方法の指定と解されるから、そもそも同法994条は適用されないといえるし、また、同法994条は、受遺者の相続人に受遺者たる地位を承継させないという点に意味があるから、本件のように受遺者の相続人の全員が同時に被相続人の相続人である場合には、同法994条を適用すべき実質的理由が認められないからである。

また、同法995条も適用されない。同じく、きみ江に対する譲渡は、本来相続分及び分割方法の指定と解されるからであり、また、同法995条は、他にも包括受遺者がいる場合に受遺者が受けるべきであつたものを他の包括受遺者には帰属させず、相続人だけに帰属させるという趣旨であるから、本件の場合は、適用の対象外といえるからである。

(三) ところで、原審判は、同法995条ただし書の適用を前提に、きみ江の死亡後も第三遺言の第3項が有効であるかのごとき判示をしている。そこで、同法995条ただし書適用の可否は後述し、ここで、右第3項につき主張しておく。

(1) 第三遺言の第3項本文は、抗告人に遺産を全く取得させない旨記載されているが、あさ子及びきみ江に全部の遺産が譲与される以上、抗告人が取得できないのは当然であるから、右第3項本文によつて取得できなくなるわけではなく、この点に法的意味を認めることはできない。右第3項は、同遺言の第2項との対比からいつても、きみ江への譲渡を前提に同人が負うべき負担の内容を明らかにしているものである。即ち、きみ江に対して、抗告人にはのぶ子と異なり譲与しなくてもよいが、「但し向後真心から改心し真人間に更生したる時・・・・・・譲与をなすべし」とのいわば条件付負担を課したものであつて、それ以上の法的意味はない。したがつて、きみ江への譲渡が失効した時点で、法的意味をすべて喪失したものと解されるのである。

(2) 仮に、きみ江の死亡後も右第3項が有効とすると、同項ただし書はどのように理解したらよいのであろうか。譲与をすべき者が死亡しているから、ただし書は無効になり、本文だけが有効になるとでもいうのであろうか。あるいは、前記の条件を満たしたときに「幾分か」相続できると解するのであろうか。この場合の「幾分」とはどの程度のことであるのか。

原審判は同項ただし書についてきわめて恣意的な解釈をしたうえ、結果として、ただし書を適用せず、安易に同項本文のみを有効としているものである。

原審判は、同項本文を「被相続人の財産が申立人(抗告人)に承継されることに対する強い拒否の意思を表示したもの」としたうえ、同項ただし書につき、「例外的な場合にあつても・・・・・・贈与の対象を遺産全体からみて相当少ない量に限定すべきことを明示している」と判示している。しかし、同項ただし書には「幾分」という文言が使用されており、同遺言の第2項でのぶ子に対しても同じ「幾分」という文言が使われているのである。「相当少ない量」が明示されているとどうしていえるのであろう。また、ただし書の適用を排除した理由は何であろうか。「相当少ない量」だから考慮に値しないというのか、ただし書だけが無効になるというのか、有効(いかなる意味で有効かがまた問題になるのだが)だが適用する要件に欠けるというのか、あるいは被相続人の真意は本文にだけあるというのか。

これらの解釈上の疑義は、すべて、きみ江死亡後も同第3項だけは有効であるかのごとき立場をとることによるのである。厳格さが要求される遺言の解釈としてとるべき立場ではない。

(3) また、第三遺言の第3項は、第四遺言によつて撤回されていると解すべきである。

第四遺言には、抗告人に関する条項はなく、相続させるともさせないとも、文面上はいつていない。いわば、沈黙しているのである。この沈黙の意味は、次の諸事情とあわせ考慮すれば、明らかに第三遺言の第3項を撤回する趣旨と考えられる。

第1に、右第3項では「恭一に・・・・・・・・・・・・・・・全々譲与せぬ。」と記載していながら、第四遺言成立後、抗告人名義の預金を残したことである。これは、生前処分といえるかどうかは格別、第三遺言の第3項と矛盾する行為であつて、この一事からも撤回の意思があつたと認められる。

第2に、被相続人は、第四遺言だけを封書にし、かつ、家庭裁判所にて開封することを記した上で、弁護士に預けたにもかかわらず、第三遺言に関しては全くそのような厳格な手続をとつていないことである。被相続人が第三遺言の第3項をなお有効なものとしていかそうとしていたとすれば、当然第四遺言にも同様の条項を盛り込むか、第三遺言も第四遺言と同様の保管方法をとつていなければならない。これは、被相続人が第三遺言の第3項を失効させる意思を有していたことの重要な証左である。

第3に、第一から第四までの遺言の流れをよむと、そこに、抗告人に対する被相続人の意思の軟化がよみとれることである。つまり、第一遺言では、一切の条件を付さず、全然譲渡しないといつていたが、第二遺言では、ただし書で、条件を満たしたときに譲渡するものと変更され、第三遺言ではその条件が緩和され、第四遺言に至つて、遂に、恭一に譲渡しないという条項が消滅するに至つているのである。

第4に、原審判の解決によれば、第三遺言は「相続人廃除に近い効果をもつ」とされるが、このような内容の遺言条項は、新遺言においてその旨が再度記載されなければ、撤回されたとみるのが一般的な解釈であるという点である。なぜなら、被相続人が、もしそのような記載をしなければ、通常の民法の原則に従い法定相続人に対し何らかの相続財産が承継されることは、あまりにも明白なことだからである。

特に本件においては、第一ないし第三の各遺言において、被相続人は抗告人に関し必ず言及している(このことは、裏を返せば、被相続人において、何らかの遺言条項がなければ、民法の一般原則に従い処理されることを熟知していたことが認められる。)にもかかわらず、第四遺言においては、この点につき何ら言及していないのみか、第一ないし第三遺言の存在を窺わしめる文言すら一切存在しないのである。

第五に、抗告人は、昭和38年ころから生活上の立直りを示し、被相続人との関係が修復されていたから、第三遺言の第3項を撤回する合理的な理由が存することである。特に、抗告人は、昭和32年9月20日調停に基づき被相続人から受領した30万円を、昭和40年12月28日に40万円にして弁済している(甲第一、二号証)。

原審判は、「最終遺言を作成した被相続人が、第三遺言の第3項を失効させる意思であつたとは、到底認めることができない」旨判示しているが、以上の諸点からして、反対に、被相続人が右第3項を存続させる意思を有していたとは、到底考えられないのである。

現に、あさ子は、第四遺言だけの検認申立てを行ない、これのみについて遺言執行者選任の申立てをしたもので、また昭和51年7月13日に調停を申し立てた際(昭和51年(家イ)第921号事件)も、その申立書において、第四遺言に基づく遺産分割を求め、第三遺言には何らふれていないのであり、のぶ子も、これに共同の歩調をとつていたのである。

そして、同事件の調停委員も第四遺言だけを念頭において調停を進めていたのであつて、当時、第三遺言が既に失効しているとの認識は、関係当事者全員の共通の理解であつたのである。

(四) ところで、第三遺言の第3項が、原審判のように被相続人死亡時においてなお有効であるとの解釈をとつたとしても、原審判のような解釈は不当である。

(1) 本件において、昭和31年の第一遺言のみを解釈すれば、原審判のいうとおり、抗告人の相続分をないものとしたものと解釈されるかもしれない。しかしながら、昭和32年の第二遺言においては、「全く善人と認めてから三ヶ年以上経過した場合には、真部豊、真部義清と相談し遺産の20分の1を譲渡してよい」旨記されている(なお、第二遺言の第1項の解釈より、これは、きみ江が全て相続した後に、きみ江より遺産が承継されることとしているものと解される。)

その後の、昭和34年の第三遺言においては、「向後真心らから改心し真人間に更生したる時きみ江より幾分か譲与をなすべし」と記載されており、その相続財産の範囲を第二遺言の20分の1から「幾分か」という表現に改め、のぶ子への表現とあえて同一にし「なお、「きみ江より譲与をする」という点でも両者に差異はない。)、また、真部豊、真部義清と相談するという第二遺言を除去し、その範囲、条件が一段と緩和されている。

もし、第三遺言時において、被相続人がきみ江死亡の際にも一切の相続財産を承継させない意思を有していたのであれば、第一遺言のように、第三遺言においてもただし書を付さなかつたはずである。このように、昭和31年より昭和34年までの間においてさえ、遺言の文言のみからも、その意思の変遷があつたことが認められるうえ、その後、抗告人が被相続人の事業を手伝つていることをも考慮すると、第四遺言作成時の昭和44年の被相続人の真意は、あさ子への贈与分を除き抗告人を他の相続人と区別するものでなかつたことは明確である。

(2) 更に、第二遺言と第三遺言とを比較してみると、第二遺言においては、その頭に「一切の遺産は妻きみ江に譲渡すること」とし、第3項以降の抗告人への相続財産の譲渡は例外的なものと理解される余地もなくはないが、第三遺言においては、第3項において、一応抗告人への遺産の承継を前提とし、第4項において、初めて、「右以外の財産はきみ江に譲渡する」と記載している。これは、被相続人としては、第二遺言作成時より、より一層明確に、抗告人に対し、条件付きではあるけれども、その相続財産を継承させようとの意思が明確になつたものといわざるをえない。

(3) 以上、第一遺言で抗告人への遺産の承継を全く認めなかつたものを、第二遺言ですら認めている点、第二遺言で認めた遺産承継の範囲、条件を更に第三遺言でこれを広げあるいは緩和している点、第三遺言の第3、4項を合理的に解釈すると、抗告人に何らかの形でのぶ子と同程度の遺産が継承されることを原則としている点等を考慮すると、むしろきみ江死亡の際には、のぶ子と同程度の相続がなされるものとの意思があつたと解すべきである。

仮に一歩譲つても、少なくともきみ江死亡時における被相続人の抗告人の続に関する意思は遺言解釈上不明というべきである(したがつて、当然、民法の一般原則により相続分が決められる。)。

(4) 原審判は、第三遺言の第3項本文は「被相続人の財産が申立人(抗告人)に承継されることに対する強い拒否の意思を表示したものと解される」旨判示している。

仮にそうだとしても、被相続人の真意の探求という意味では、同項ただし書の存在も同時に考慮されなければならない。同項ただし書は、その文面自体から、第三遺言成立後の時間の経過とその後の事情の変更を念頭においていることが明らかである。

第三遺言の成立は、昭和34年6月1日であるところ、被相続人の死亡は、昭和51年3月29日であつて、この間、17年の歳月が経過している。仮に、原審判のように、同遺言の第3項を有効と解するのであれば、同項ただし書の存在も考慮し、第三遺言成立後の時間の経過とその後の事情の変更を探求したうえで右第3項が解釈されなければならない。

ところが、原審判は、理由なく同項ただし書の存在を無視し、第三遺言成立時の事情を判示するだけで、成立後の事情を全く考慮していない。

第三遺言の成立後、被相続人は、抗告人名義の預金約900万円(後記のとおり、これは遺贈と解釈される。)を残しているのであり、この点から既に被相続人の意思に大きな変更があつたことが明らかである。また、抗告人は昭和38年ころから生活上の立直りを示し、被相続人との関係も修復されていたのである。まさに、被相続人死亡時には、同項ただし書の「真心から改心し真人間に更生したる時」の要件が備わつていたのであつて、真意の探求という意味でいえば、同項ただし書こそ重視されなければならない。

更に、第四遺言には第三遺言の第3項のごとき記載がなく、この点からも被相続人の意思の変更が窺われるのである。

したがつて、仮に、同項が有効であると解するとすれば、同項ただし書の要件が備わつているから、同項を抗告人に全く相続させないとの趣旨に解釈することは到底許されず、のぶ子と同じく「幾分か譲与する」ものと解されなければならない。

(五) 次に民法995条但書の適用の点につき主張する。

前記のとおり、本件では、同法995条自体、適用されないと解されるから、同条ただし書の適用はおよそ問題にならない。

仮に、同法995条の適用がありえたとしても、本件の場合、同条ただし書は適用されない。前記のとおり、同法995条は、受遺者が受けるべきであつた遺産を相続人にだけ帰属させ、他の包括受遺者に帰属させないという趣旨であるから、同条ただし書でいう「別段の意思」とは包括受遺者をも含める意思をさすと解されるからである(法釈民法26巻181頁)。

原審判はこの「別段の意思」に相続人の一部を除外する意思まで含ませているが、独自の見解というべきである。

また、原審判のような見解をとつたとしても、原審判のように第三遺言の第3項を同法995条ただし書の「別段の意思」を表示した遺言とし、その趣旨を抗告人を同法995条本文の相続人から除外するものと理解することは到底認められない。

前記のとおり、第三遺言の第3項はきみ江に対する譲渡の失効によりその効力を失つたものであるからであり、仮に、有効との立場をとつたとしても、右第3項ただし書の要件が備わつているから、相続人から除外する趣旨とは解されないからである。

2 遺留分減殺請求について

(一) 原審判のような解釈にたてば、抗告人の遺留分が侵害されることは明らかであるから、抗告人は、相手方らに対し、昭和60年4月15日に到達した内容証明郵便で仮定的に遺留分減殺請求権を行使した。

ところで、遺留分減殺請求権は、減殺すべき贈与又は遺贈があつたことを知つた時から1年間で時効消滅する。知つた時とは、遺贈が遺留分を侵害し、滅殺しうべきものであることを知つた時であるとするのが通説、判例であるところ、抗告人は、原審判のような特異な解釈は、当然維持されないと信じているので、その意味では、いまだに減殺しうべきものであることを知らないともいえるのであるが、それはさておいても、減殺しうべきことを知つたのは、早くとも、原審判書謄本を受け取つた昭和60年4月2日である。

したがつて、消滅時効は完成していない。

また、知つた時の意味につき、文字どおり遺贈、贈与があつたことを知つた時と解する立場にたつたとしても、本件の場合、消滅時効は完成していない。

抗告人が、第四遺言の存在を知つたのは、あさ子が第四遺言3通の検認を申し立てた(札幌家庭裁判所昭和51年(家)第1146~1148号)昭和51年5月21日以後のことであるが、第四遺言によるあさ子への遺贈の事実を知つたとしても、それだけでは、減殺請求権を行使できないからである。残余の遺産がのぶ子に帰属する(その有効、無効をとわないというのが少数説の趣旨であろう。)ことを知つて、少数説の立場においてもはじめて減殺請求が可能になるのである。そうすると、残余の遺産がのぶ子に帰属する(もちろん、まだ確定していないが)ことを知つたのは原審判書謄本を受け取つた昭和60年4月2日であるから、少数説の立場にたつても、そのときが消滅時効の始期になるものである。

したがつて時効は完成していない。

(二) また、抗告人と相手方らとの間の遺産分割紛争は、これまで次のような経過をたどり、抗告人は相手方らに対し、遺産分割を求める意思表示を明確に行なつてきた。

(1) 昭和51年3月29日 被相続人死亡

(2) 同年5月10日 抗告人(申立人)が相手方らに対し遺産分割調停申立て(札幌家庭裁判所昭和51年(家イ)第627条)

(3) 同年5月21日 あさ子が第四遺言の検認申立て(同51年(家)第1146~1148号、なお、第一ないし第三遺言については検認申立てはない。)

(4) 同年6月11日 第627号調停事件取下げ

(5) 同年7月 あさ子(申立人)が抗告人、のぶ子に対し遺産分割調停申立て(同51年(家イ)第921号)

(6) 同年7月28日 抗告人(原告)が相手方ら(被告)に対し第四遺言の無効確認の訴え提起(札幌地方裁判所昭和51年(ワ)第1008号)

(7) 同年8月3日 第921号事件の第1回調停期日遺言無効確認の訴えの結果が出るまで調停を進行させないこととなる。

(8) 同年10月29日 抗告人(申立人)が相手方らに対し遺産分割の審判申立て(札幌家庭裁判所昭和51年(家)第2297、2298号)

(9) 昭和52年12月8日 遺言無効確認事件の訴え取下げ

(10) 昭和53年3月2日 第921号事件の調停再開

(11) 昭和54年5月10日 第921号事件調停不調、審判に移行(昭和54年(家)第1385号)

(12) 昭和55年10月16日 第1385号審判事件を調停(昭和55年(家イ)第1215号)に回付第1回調停期日

(13) 昭和56年12月5日 あさ子が第1215号調停事件取下げ

(14) 同年12月24日 抗告人(申立人)が相手方らに対し遺産分割調停申立て

(15) 昭和57年4月22日 調停不調、審判に移行、これが本件(昭和57年(家)第1479号)である。

(16) 昭和60年3月30日 本件原審判

以上の経過をみれば、抗告人が相続への参加をくり返し主張していることは明らかであつて、仮に本件が抗告人の遺留分を侵害する事案と解されるとすれば、右(2)、(8)、(14)の各申立て、(6)の訴え提起、昭和53年3月2日以降の前記第921号調停事件での遺産分割を求める主張等の内に、当然に抗告人による遺留分減殺請求の意思表示も含まれているものである。

(三) 相手方らが抗告人の遺留分減殺請求に対し消滅時効を援用することは許されない。なぜなら、相手方らは、前記の調停等において抗告人の相続権や遺留分を承認し、又は時効利益を放棄しているからである。また、これまでの経過に照らすと、時効を援用すること自体禁反言則にふれるものであつて、著しく信義則に反することが明らかである。

第二相手方らの答弁及び主張

一 抗告の趣旨に対する答弁

本件抗告を棄却する。

二 主張

1 抗告人が昭和60年4月15日相手方らに対して遺留分減殺請求の意思表示をしたことは認めるが、右は抗告人が減殺すべき遺贈があつたことを知つた時から1年以上経過した後になされたものである。相手方らは、昭和60年11月7日の当審第1回口頭弁論期日において、遺留分減殺請求権の消滅時効を援用した。

2 抗告人の過去の不行跡に照らすと、抗告人が遺留分減殺請求権を行使することは、遺留分制度の趣旨にもとるものであり、衡平の原則に反し、権利の濫用にあたるから許されない。

別紙二〈省略〉

〔参照〕原審(札幌家 昭57(家)1479号 昭60.3、30審判)

主文

別紙目録記載の遺産は全て相手方滝川のぶ子の取得とする。

理由

1 本件記録及び関連事件(札幌家庭裁判所昭和51年(家イ)第627号遺産分割調停事件)記録中の戸籍、除籍及び改製原戸籍の各謄本によれば、被相続人真部高志は昭和51年3月29日に死亡し、本件相続が開始したこと、被相続人の妻きみ江は昭和45年10月2日死亡しており、被相続人ら夫婦間の長女、二女、長男及び四女も既に相当以前に死亡しその代襲者が存在しないので、本件相続の相続人は申立人(二男)、相手方真部あさ子(三女)及び同滝川のぶ子の3名であることが認められる。

2 不動産登記簿謄本、照会に対する○○○○○銀行ほか2行及び○○地方貯金局長の各回答書、並びに関連事件(上記事件及び同裁判所昭和55年(家イ)第1215号遺産分割調停事件)記録に編綴の各資料によれば、本件相続開始当時被相続人が有した財産は別紙第1目録記載の土地、預貯金及び株式と別紙第2目録記載の土地建物である。

申立人は、これらの外に、(1)売掛金、たな卸商品、仮払金及び車両、(2)出資金、(3)刀剣5振が存在すると主張し、このうち(1)の各種財産については関連事件記録中の申立人及び相手方ら連名作成の相続税の申告書に電話加入権とともに掲記されている(これらの価額合計は同書面上174万1725円とされている)が、上掲各資料によれば、これらはいずれも被相続人が真部農園の商号で生前営んでいた農産種苗生産販売業に関連した財産であるところ、この事業を事実上引継いで営業に当つている相手方あさ子が、ことの当否はさておき、被相続人の債務(固定資産税、下水道負担金などの公租公課、未払金、買掛金及び預り金。これらの債務額の合計は上記申告書上179万9944円とされている。)を単独で弁済していく過程で既に消失しているものと推認されるので、本件遺産分割手続においては、価額的に債務額とほぼ見合つているこれら各種財産は特に問題にしないこととする。また、申立人主張の(2)と(3)の財産については、これが相続開始当時存在したと認めるに足りる資料はない。

3 (1) 関連事件(上掲の第1215号事件)記録に編綴の遺言書6通(ただし、うち3通は同一内容)によれば、被相続人は、昭和31年5月19日、昭和32年6月2日、昭和34年6月1日、昭和44年5月18日と4度にわたつて自筆遺言証書を作成しているが、これら遺言証書の各本文は次のようになつていることが認められる。

昭和31年5月9日付のもの(以下第1遺言という)

「一、自分死亡の場合

一、遺産全部をきみ江に譲渡する

一、あさ子、のぶ子にもきみ江の承認を得て譲渡する事

一、恭一は不都合により財産は全々譲渡せざる事」

昭和32年6月2日付のもの(以下第2遺言という)

「一、高志名義一切の遺産は妻きみ江に譲渡する

一、あさ子のぶ子には妻きみ江と相談し適当にきみ江より分譲する事

一、恭一は7、8年前から連続不都合に依り全々譲渡せざる事但し本人の事実上の改心にて全く善人と認めてから参ヶ年以上経過した場合は真部豊真部義清と相談し遺産の20分の1に限り譲渡するも宜しい

一、恭一の債務に対しては一切責任を負う必要なし

一、恭一を準禁にする考えである」

昭和34年6月1日付のもの(以下第3遺言という)

「一、あさ子には○××○××小生所有名義土地を全部譲与する。

二、のぶ子にはきみ江より後日幾分かを譲与する事。

三、恭一は6ヶ年も家出して気儘の限りを尽した現在改心の情認めず依て全々譲与せぬ。法的手続をとらなくとも必ず実行する事、但し向後真心から改心し真人間に更生したる時きみ江より幾分か譲与をなすべし

四、右以外一切の財産はきみ江に譲渡する。

五、幾分にても養老園其他に寄附されたし。」

昭和44年5月18日付のもの(以下最終遺言という)

「後記の不動産を真部あさ子に贈与することを遺言します。」

なお、「後記」には別紙第2目録記載の土地建物が遺言当時の登記上の表示で記載されている。

(2) 上記最終遺言によれば、別紙第2目録記載の土地建物は相手方あさ子に遺贈され、その結果同相手方の所有に帰したことが明らかである。また、最終遺言は第3遺言の第一項で定めた相手方あさ子への遺贈物件を更に増加させて、札幌市○○区○××条「○××丁目の土地の一部と同土地上の建物」をも含めたことに意味があり、「○××丁目の土地全部」を遺贈する意思を一部にせよ変更した趣旨とは解されないから、最終遺言の「後記」に記載されていないとはいえ、別紙第3目録記載の土地2筆もまた相手方あさ子に遺贈されたものと解するのが相当である。

(3) 問題は被相続人が相続開始当時有していたその余の財産、即ち別紙第1目録記載の財産(以下本件遺産という)の帰属である。この本件遺産については最終遺言において何らの言及もないので、第3遺言に従いその帰属を決つすべきところ、同遺言第二、三、四項を総合すると、相手方あさ子へ遺贈したもの以外は全て妻きみ江へ遺贈する意思であつたと解することができる。しかし、既に述べたように、受遺者たる妻きみ江は最終遺言が作成され未だその効力が生ずる前の昭和45年10月2日死亡したから、民法994条1項によりこの遺贈は失効したことになる。この場合、遺贈対象物件は同法995条本文により一応遺言者の相続人である本件当事者3名に帰属し、3名の間で分割すべきこととなるかの如くであるが、同条但書は、「遺言者がその遺言に別段の意思を表示したときは、その意思に従う。」とも規定しているので、この点をさらに検討することにする。なお、被相続人は最終遺言等で相手方あさ子に相当量の不動産を遺贈したが、これは同時に同相手方の相続分を指定したものと解釈される余地があるけれども、そのように解釈するか否かに関係なく結論は同一になるので、以下においてこの点はふれないことにする。

(4) 既にみたように、被相続人は第3遺言の第三項本文において、「恭一(申立人)は6ヶ年も家出して気儘の限りを尽した現在改心の情認めず依て全々譲与せぬ。法的手続をとらなくとも必ず実行する事」と記述しており、同趣旨の記述はこれに先立つ第1遺言(第四項)、第2遺言(第三項)にも存在しているのであつて、被相続人の財産が申立人に承継されることに対する強い拒否の意思を重ねて表示したものと解される。尤も、上記本文に引き続いて但書をおき、「向後真心から改心して真人間に更生したる時きみ江より幾分か譲与なすべし」とも記述しているので、上記意思の実行はいわば完全絶対的なものではないけれども、この例外的な場合にあつても、妻きみ江による任意な処分として贈与の形式をとることを希望しており、しかも贈与の対象を遺産全体からみて相当少ない量に限定すべきことを明示している。このような被相続人の第3遺言作成当時の意思は申立人に対して一見過酷に映らないではないが、関連事件(上記第1215号事件)記録中の相手方のぶ子提出の各資料、並びに、本件記録に編綴の申立人作成の「遺書」、「願断食」と各題する書面、被相続人宛の書簡等から窺い知れる事実、例えば、遅くも昭和29年頃には始つていた東京などで申立人がした借財の数々を父である被相続人に悉く尻ぬぐいさせたこと、昭和30年代前半に事業資金と称して当時としては極めて高額の金員を親戚知人らを巻き込んで繰り返し要求し(この間、申立人は被相続人を相手方として親子関係調整の調停事件を申し立て、昭和32年9月20日に被相続人から30万円の支払を受ける旨の調停が成立したことにより、その頃同金員を受領した。)、要求が容れられないとみるや自殺をほのめかすことも一度や二度にとどまらず、また色々な約束事を被相続人に誓約するも真面目に実行しなかつたことなどにより、被相続人ら夫婦に多大の精神的経済的な負担をかけて苦しめる結果になつていた事実に照らすと、被相続人がこのような遺言を残した心情は十分理解できるところである。

したがつて、上述した被相続人の財産が申立人に承継されることへの強い拒否の意思は、遺言書の文言上妻きみ江の生存を前提にしたもののように見えなくはないが、それのみにとどまらず、受遺者たる妻きみ江の死亡の場合に、遺贈物件が相続人ということで当然に申立人に承継されることを拒否する意思をも合わせて表示したもの、換言すれば、民法995条にいう「相続人」の全員にではなく、申立人を除外した一部「相続人」に帰属すべき旨をも合わせて表示したものと解される。このような遺言は、民法上の相続人廃除に近い効果をもたらす側面があることは否定できないが、申立人には勿論遺留分が法律上保障されているから、遺言として当然に無効になるとはいえない。そうすると、第3遺言の第三項は民法995条本文が定めるとは異なる意思を表示したことになるから、同条但書によりその表示された意思に従い別紙第1目録記載の財産(本件遺産)は申立人以外の相続人、つまり相手方あさ子及び同のぶ子に帰属したものと解するのが相当である。なお、この遺言を取り消すには民法1022条以下の規定に従うべきところ、最終遺言を作成した被相続人が、第3遺言の第三項を失効させる意思であつたとは到底認めることはできず、その他被相続人が第3遺言作成後死亡するまでの間に正規の方法でその第三項を取り消した事実を認むべき資料は存在しない。

4 前項で述べたところによれば、被相続人の違産は申立人に全然相続されない結果となるが、このような遺言は申立人の遺留分を侵害していることは明らかである。そこで、申立人が遺留分減殺請求権を適法な期間内に相手方らに対して行使したかどうかを検討するに、本件及び関連事件(上記した以外に同裁判所昭和51年(家)第2297号、同第2298号遺産分割及同禁止申立事件を含む)記録によれば、被相続人の遺産に関しては、被相続人死亡直後の昭和51年5月10日以来数次にわたつて申立人と相手方あさ子が交互に調停または審判の申立をしているが、それら手続進行の過程で申立人が遺留分減殺請求権を行使した事実はない(むしろ、遺留分侵害はない旨主張していた)ことが認められ、また、これら手続外でこの権利を行使したことを窺わせるに足りる事情は、本件及び関連事件記録中の各資料を精査してもこれを発見することができない。そうとすれば、本件の最終遺言及びこれによつて一部変更された第3遺言は共に有効であつて、申立人が本件遺産を相続人として取得すべき根拠はないことが明らかである。

5 上記第3、4項で説明したとおり、本件遺産を相続すべき者は相手方両名であり、その法定相続分は各自2分の1となるので、民法903条以下の規定に基づき両名の具体的相続分を算定すべきこととなるところ、○○○作成の鑑定書によれば、相手方あさ子が遺贈により取得した別紙第2及び第3目録記載の土地建物の本件相続開始当時の価額は総額1億6451万5000円になるのに対し、本件遺産全体の上記と同時点での価額はこれを2000万円以上下回る総額1億4405万円程度(株式については1株を300円として計算)にしかならず、本件審判時現在の価額で計算するとこの差額はさらに増大することが認められる。したがつて、相手方あさ子は既に自己の法定相続分である2分の1を上回る財産を遺贈で受けているので、本件遺産は一部分にせよこれを取得することができないことが明らかである。そうとすれば、本件遺産は結局その全部が相手方のぶ子の取得となるというべきである(なお、本件手続において鑑定に要した費用100万円、相手方あさ子が本件遺産たる不動産に賦課されたため支払つてきた固定資産税――同相手方は、この額が合計1190万7500万円になるとして資料を提出している――及び被相続人の葬儀費用――同相手方はこの費用は256万3376円であると主張している――は相続財産に関する費用もしくはこれに準ずべき性質のものと解されるので、民法885条により本件遺産中から支弁すべきである。)。

よつて、主文のとおり審判する。

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